2025年5月の投稿[3件]
2025年5月18日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
270文字, 2025.05.18 21:13 日記
頭木弘樹『食べることと出すこと』を読了しました。 #読書
私事で恐縮だが、腸閉塞で入院した経験があり、かつ精神安定剤等の服薬の影響で慢性的かつ酷い便秘を患っており、それに対する対策で下剤を継続して服用している。幸いにして腸閉塞が治った後は、暫く消化の良い食べ物を求めて大腸を切除した人向けの料理レシピを読み漁り、外食の際はお粥を提供してくださる店舗を探し求めた。また便秘対策で服用している下剤の効きが強すぎて、この本で紹介されている体験談程ではないが、それなりに尊厳を失ったことがある。それ故、この本の内容には大変共感しながら読んだ。「大変そう……」と思った場面もあったが、「分かりみが深い……」と思った場面も多かった。
この本の著者はカフカについての著作も多い。この本も例に漏れず、カフカをはじめとする文学者の著作の引用も多く紹介されている。著者、もとい消化器を患った者の立場に寄り添うような引用も少なくないので、読書案内としても読むことが可能であると思う。
私事で恐縮だが、腸閉塞で入院した経験があり、かつ精神安定剤等の服薬の影響で慢性的かつ酷い便秘を患っており、それに対する対策で下剤を継続して服用している。幸いにして腸閉塞が治った後は、暫く消化の良い食べ物を求めて大腸を切除した人向けの料理レシピを読み漁り、外食の際はお粥を提供してくださる店舗を探し求めた。また便秘対策で服用している下剤の効きが強すぎて、この本で紹介されている体験談程ではないが、それなりに尊厳を失ったことがある。それ故、この本の内容には大変共感しながら読んだ。「大変そう……」と思った場面もあったが、「分かりみが深い……」と思った場面も多かった。
この本の著者はカフカについての著作も多い。この本も例に漏れず、カフカをはじめとする文学者の著作の引用も多く紹介されている。著者、もとい消化器を患った者の立場に寄り添うような引用も少なくないので、読書案内としても読むことが可能であると思う。
432文字, 2025.05.18 21:11 日記
岸見一郎『人生は苦である、でも死んではいけない』を読了 しました。 #読書
著者が自身の体験(両親に対する介護と死、自身の闘病生活)やアドラー心理学、三木清『人生論ノート』等を元に、生命・人生の尊さについて訥々と述べる内容。タイトル通りの内容と言ってしまえばその通りであると思う。
この著者はアドラー心理学について説明した『嫌われる勇気』でも有名である。先に書いた通り、この本でもアドラー心理学からの引用を多く行っているが、その一方でアドラーの述べた言葉について批判も忘れてはいない。ただアドラーの言葉を鵜呑みにするのではなく、著者なりにより良い解釈になるように試みているところに、わたしは好感を持った。
この頃、老人や障害者等の社会的弱者に対する逆風が吹き荒れているように強く感じる。それに反対したいと思う一方で、そうした社会的弱者に対して平等に生命の価値を認めることに対して難しさを覚えることもままある。そうした時に、落ち着いてこの本を読み返し、誰にでも生命の価値を認めることを忘れないようにしたい。
著者が自身の体験(両親に対する介護と死、自身の闘病生活)やアドラー心理学、三木清『人生論ノート』等を元に、生命・人生の尊さについて訥々と述べる内容。タイトル通りの内容と言ってしまえばその通りであると思う。
この著者はアドラー心理学について説明した『嫌われる勇気』でも有名である。先に書いた通り、この本でもアドラー心理学からの引用を多く行っているが、その一方でアドラーの述べた言葉について批判も忘れてはいない。ただアドラーの言葉を鵜呑みにするのではなく、著者なりにより良い解釈になるように試みているところに、わたしは好感を持った。
この頃、老人や障害者等の社会的弱者に対する逆風が吹き荒れているように強く感じる。それに反対したいと思う一方で、そうした社会的弱者に対して平等に生命の価値を認めることに対して難しさを覚えることもままある。そうした時に、落ち着いてこの本を読み返し、誰にでも生命の価値を認めることを忘れないようにしたい。
452文字, 2025.05.18 21:10 日記
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人生相談的疑問からカント哲学の解釈までを、カントを専門として扱っている哲学者である著者が、質問に答える形で解答・解説していく内容。
カント哲学に沿って解答・解説していくものの、カント自身が自分の言ったことを鵜呑みにせず、「自分で考えること」を推奨しているため、従来のカント哲学に関する書籍・論文どころか、カントの考えそのものに対しても批判を行っている。わたしは、その姿勢に対して、著者がカントの〝信者〟ではなく、カントの教えを受け継ぐ者であることを感じさせた。